

Message
コーポレートメッセージ


Management philosophy
経営理念



夢の実現に向けて「想像力」と「建築物」の高度な融合に努力します。
夢に向けてチームワークで困難に立ち向かい行動して克服します。
人と人との接点を何よりも大切にし、どのようなニーズにもお応えします。
こんな社長が立ち上げた会社です

5月5日 誕生
岡山県倉敷市玉島に多々野家の二男として誕生。 裏は山、前は海の自然環境の中で育つ。
ひとクセある野球少年時代
小学生から野球を始め、恵まれた体型だったのもあり、投手で 4 番でキャプテンで花形。
学校生活では当時、本州四国を結ぶ瀬戸大橋が開通し、キャッチコピーで金賞をもらう。
〈後日談〉
一語一語を広告看板などでみたものを抜粋して繋げ、【光輝く未来の架け橋】 後に先生に呼ばれ・・自分で考えたものじゃないからダメだと怒られたが・・・ 良いと思ったものを一つ一つ吸収して自分のオリジナルにして何が悪い?と疑問を抱く。
中学生になると、遊びやケンカに明け暮れる日々で学業の成績は学年でワースト 10 入り!(笑)野球だけは好きで頑張り、高校進路は特待生で勧誘がくると過信していた(笑)
我が校へとお誘い話がきたが、何故かレスリング部からのスカウト(笑)
1973
アイテクノス株式会社 代表取締役 多々野 浩志
1989
挫折しかけた高校時代
おかやま山陽高校 入学 野球部に入り甲子園出場を目標に日々、朝から夜まで過酷な練習に励む。 自分の力を過信していて怠慢だった私は、二年生にはメンバーから外れてしまいました。 何度も退部を考えたが、仲間に支えられ、助けられてなんとか最後までやり遂げれました。
1992
迷い続けた社会人時代
塗装会社に入社 適当なことしかしていなかったことで解雇となる。
1994
バルブ 整備会社に入社 友達と一緒だった為、仕事は楽しかったが、結婚を機に退職する。
株式会社タダノ(父親の会社)入社 電気工事を中心とし、設計施工の元請工事会社として大手企業の顧客と取引きをする。 そんな偉大な父親の姿を見て追い、懸命に取り組むが挫折の繰り返しを重ねる。 そんな自暴と一方で、自分は社長の息子という周囲からの甘い接触で勘違いをした考え方をしていた。 そして友達と起業する為、退職をする。
トップランナー・テクノサービス(個人事業)設立 事業計画書やコンセプトが疎かのなか、発足するが当然であるが取引先も殆どなく受注も少なく、わずか一年ほどで解散となる。
人生のターニングポイント 〈当時を振り返って〉 社長談
当時、私は 35 歳で家庭もあり子供も三人いました。父親の会社に戻るという選択肢はすぐに頭をよぎり ましたが、ここで復帰したら私自身がダメになる!人生が後悔だらけになる!と思い、父親の会社へ帰らず ニート状態になりました。
職を失い、収入も無くなった私ですが子供たちの目を気にして毎日、仕事に行くふりをして家を出て公園で 朝から夕方まで過ごしていました。 極限まで落ち込み、精神的に追い込まれ、金銭もなく公園の水を飲む日々でした。 唯一の救いが、私の親友が営む飲食店に行き他愛のない雑談をして過ごす時でした。
どん底で気づかされた大切なこと
どん底の中で気づかされたことは・・自分は一人じゃない!愛してくれる人がいる!こと。 私は自分自身に開き直りました。
(捨てるプライド!持っておくプライド!) この振分けを持った私は、某コンビニへ配送する会社で夜中に配送運搬のバイトを始めました。
夜中のコンビニは若者の溜まり場で、配送先で荷物を搬入していると・・「邪魔じゃ~どけ~!おっさん」「夜中にご苦労さ~ん!」と肩を叩かれるなど・・卑猥な言葉を浴びました。
一瞬は理性が抑えれず怒りが湧きま すが、私はニコッと微笑んで「申し訳ございません!ありがとうございます♪」と対応しました。
次の取り組みとしてはじめたことは、面識のあった某大手企業にので出向き、無償で構内の掃除をしていきました。
約半年くらいの期間、少しでも人の役に立ちたい!自分の居場所や存在感を実感したくて取り組みました。
ある時、その会社の重役の方に呼ばれ、私が取り組んでいたことを評価していただき、その大手会社の社員に迎えいれていただきました。
物流業務の担当員として従事し、一転して収入も生活も安定して不自由ない生活を手に入れることができま した。
燃え尽きなかった炎
そんな恵まれた中で私は、このままでいいのか?ずっと挫折や後悔ばかりの人生を過ごしてきて・・と考えさせられるようになりました。
そして・・もう一度、チャレンジしてみたい!もう後悔だけはしたくない!と抱き、決意をする。 手を差し延べていただいた重役の方に気持ちを伝えると・・お前アホかぁ!と言われ、家内に伝えると・・ 頼むから辞めないで!と言われました。
東北大震災で決意
平成二十三年 三月十一日【東北大震災】
私の亡き母親は岩手県の出身で、私が5歳のときに諸事情により離れました。幼少ながら記憶にあるのは、とても愛情深い母親でした。 東北の血も流れる私は、一片の迷いなく即座に行動に移しました。
約、一年半の期間お世話になった会社を退職。
アイテクノス始動
平成二十三年 四月十一日 アイテクノス株式会社 設立
はじめまして。アイテクノス株式会社代表取締役の多々野です。
私は人生の中で失敗や挫折を通じて沢山のことを学んできました。
どんな仕事であっても最も大切なのは『人への愛情』をもって向き合うことが大事だと気付き、アイテクノスは誕生しました。
はじめは、委託保全業務や委託物流業務からスタートし、現在では工場に関わる全ての業務を任せていただけるようになりました。
そして、私が描く愛のある会社として社内外から『愛のある会社』だと認知していただけるようになってきました。
今後も念頭に初心の思いを忘れず、何事にも愛をもって向き合い、日々チャレンジして走り続けていきたいと思います。
「未来のお客様」
些細なことでもまずは一度お話しを聞かせてください。愛情こもったトータルサポートでお客様のお悩みを解決します。
「未来の従業員様」
人は、頼り・頼られることで次に向かってチャレンジする自信へとつながります。弊社で働きたい未来の従業員様、一部本ページでも紹介しておりますが(働く人たち、求人、Q&A)個人的なお悩みや相談でも結構です。どんなことでもお問い合わせください。


アイテクノス株式会社 代表取締役 多々野 浩志

